本日の日記

昭和の思い出

2025年11月12日(水曜日)

「空にゃ今日も アドバルーン♪」。
こんな歌、知っている人おられますか(笑)。
アドバルーンを見たことのある人も少なくなりましたよね。
そもそも「アドバルーンって何?」かもしれません。
大きな、大きな“広告用の風船”といえばイメージできますか?
何故か、昭和がなつかしい‥‥。
そりゃね、道路はアスファルトではなく土でした。
冬になるとね、雨や雪が降った後には水たまりができて、“練炭”の灰をその水たまりに入れて歩きやすくしていました。
便利な世の中にはなりましたが、玄関に鍵をかけなくても大丈夫だったころがよかったね。

松原照子印

本日の世見

戦争の記憶

2025年11月12日(水曜日)

日本が戦争をしていたことは、歴史を知るとわかるのですが、どこか遠い遠い出来事のようでピンとこない人ばかりの気がします。
「珊瑚海海戦」は、太平洋戦争において大きなポイントを秘めていた気がします。
世界で初めて、空母同士が対決したのが、珊瑚海海戦です。
「真珠湾作戦」「インド洋作戦」「南方攻略」と、日本は太平洋戦争で勝利を重ねていました。
昭和十七年(1942)にお生まれになった方は、今年で83歳になられていることでしょう。
この年に、第二弾作戦を始めた日本。このことで起こったのが、「珊瑚海海戦」でした。
日本の航空母艦の名前を、ご存じの方も少なくないようですね。
「瑞鶴(ずいかく)」「翔鶴(しょうかく)」「祥鳳(しょうほう)」 この3つの航空母艦の搭載機は、瑞鶴84機、翔鶴84機、祥鳳は30機でした。
この3つの空母が繰り広げたのが、珊瑚海海戦です。
日本は、祥鳳が沈没、翔鶴が大破。
アメリカは、航空母艦の「レキシントン」が沈没、「ヨークタウン」が中破しました。
第四艦隊がウェーク島占領を行なったのが、昭和16年(1941)の12月です。
あの日から、84年が立ちました。
第四・第五航空戦隊で挑んだ珊瑚海海戦では、太平洋戦争が始まって以来、最大の犠牲者を出したのです。
今日はね、忘れかけられている戦争の記憶をお伝えしたくなりました。
祥鳳は、潜水母艦「剣崎(つるぎざき)」を改造した空母で、真珠湾攻撃後に竣工したものでした。
敵から集中的に攻撃を加えられて、魚雷七本、爆弾十三発を浴び、乗組員631人が犠性になりました。祥鳳が沈没したのは、ニューギニア島の先にある小さな島々の間。
珊瑚海はすぐそこにありました。
昭和17年 (1942)5月4日~8日は、この地で日本もアメリカも、多くの犠牲者を出しました。

松原照子印
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