本日の日記

礼拝

2024年3月19日(火曜日)

あなたはイスラムの神秘主義詩人・バクダッドが残した次の言葉をどのように思われますか?
「私は不幸を嘆いたことがなかった
襲いかかる様々な不安を前に心を乱したこともなかった
そう 履物ひとつ買えず
裸足で暮らさなければならなくなった
あの日まで
私は荒みきった気持ちでクーアァの
礼拝堂へ行き 深い嘆きを祈りで鎮め
ようとしたのだった
礼拝堂で私は両足を失った男の姿を見た
男は祈りを捧げていた
私は神に感謝した
裸足でいることに耐えながら
それだけで魂を慰められていたのだ」

松原照子の印

本日の世見

子供の頃の出来事

2024年3月19日(火曜日)

  • 歴史

日本って、“被爆”という恐ろしい体験をさせられた国です。
もう忘れている人も多いと思いますが、1954年の3月、マーシャル諸島のビキニ環礁で、又々アメリカが行った水爆実験のために、日本のマグロ漁船が被爆するという事件が起き、亡くなる人が出てしまいました。
マグロ漁船団の中で、第五福竜丸の乗組員1名が犠牲になったのです。
このことが理由かはわかりませんが、日本に自衛隊が発足されたのがこの年のことです。
韓国が竹島に武装要員を常駐させるという出来事が起きたのもこの年。この年から70年も経ちましたが、韓国は未だに実効支配を続けています。
私は今77歳です。
7歳の頃にこのようなことが起きていたのですね。
今日何となく、子供の頃、どのようなことが起きたのか知りたくなりました。
私が5歳の時、黒澤明監督の『羅生門』が、ベニス(ベネツィア)国際映画祭でグランプリを獲得していました。
1952年から54年に掛けては、放送時間にはお風呂屋さんから人が消えたと言われた、ラジオドラマ『君の名は』が大ヒットしました。1953年、私が7歳の時には、テレビ放送が開始され、映画も公開されました。
大相撲がテレビ中継されて、日本中は相撲に心を奪われました。
当時は今のように一般的な家にはテレビがなかったので、“街頭テレビ”に人だかりが出来て、凄い人気を集めていたのです。
力道山のカラテチョップに、皆、心をときめかしたものでした。
プロレス人気は凄過ぎました。
1954年には、あの怪獣映画『ゴジラ』が登場しました。
同年に、洋画では『ローマの休日』。そして、黒澤明監督の『七人の侍』。 
マリリン・モンローが来日したのもこの年です。
今ではどこの家庭でも当たり前になっている、電気洗濯機・電気冷蔵庫・白黒テレビが「三種の神器」とも言われたのですから、人々がどんなにこの三つの品々に憧れを抱いていたのかがわかります。
1952年、白井義男がボクシングで世界タイトルを獲得した日、私は6歳でしたが、父がとても喜んでいたのが忘れられません。

松原照子の印
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