本日の日記

マンモス

2025年9月17日(水曜日)

1799年、北極近くのシベリアで、あのマンモスの氷漬けの化石が発見されました。

もしかしたら、私たちがまだ知らない生物がこの地球にいたかもしれません。

松原照子印

本日の世見

ナポレオン

2025年9月17日(水曜日)

イタリア半島と南フランスに向きあった、この西地中海のコルシカ島は、18世紀のヨーロッパの世論にとって忘れられない島になりました。

ルソーの予言は半分当たっていました。『社会契約論』と今、耳にしました。ルソーがどのような予言をしていたのか、私は知りたくなりました。

コルシカ島の西海岸に「アジャクシオ」という町があります。
この島に生まれたのがナポレオン・ボナパルトなのです。

へえ、ナポレオンなんだ。今日も何を書くのか分かりませんが、ナポレオンの登場でワクワクしています。

18世紀のはじめ、コルシカ島はイタリアのジェノヴァ共和国の領土でした。
コルシカの人々はジェノヴァに対して18世紀半ばすぎまで反乱を続けました。

やがて独立運動が成功し、主権在民を掲げた憲法にもとづく独立政府がつくられました。これは世界でも最も早い時期に制定された憲法の一つといわれています。

ここでルソーが登場します。
ルソーはコルシカ人の戦いに感銘し、「この小さな島は、いつの日かヨーロッパを驚かすことだろう」と書いたそうです。

しかしジェノヴァは財政難のため、コルシカ島を200万リーヴルでフランスに売り渡しました。
この知らせに、コルシカ人は「戦って死のう」と叫び、蜂起したのです。

ナポレオンもまた、15歳でパリの士官学校に入ったとき、コルシカなまりを級友から笑われ、いまのいじめと同じ目にあっていたのです。
この士官学校の級友は皆、貴族の子弟でしたからね。

私は思います。このいじめがあったからこそ、ナポレオンは負けじ魂を燃やし、世界史に名を残す人物になったのではないでしょうか。

ナポレオンは35歳で皇帝にまでのぼりつめました。
しかしロシア遠征を決行して惨敗し、2年後には退位に追い込まれ、地中海のエルバ島に流刑されました。

この島から脱出し、「ワーテルローの戦い」に挑みますが、また敗れて今度はセントヘレナ島に流されました。過酷な監視下で余生を過ごし、1821年、51歳で亡くなりました。

ナポレオンの人生を、あなたはどう思われますか。

彼の遺体は、いまパリのアンヴァリッド廃兵院の地下墓所に眠っています。

 


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松原照子印
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