本日の日記

巳年

2025年10月20日(月曜日)

今年は巳年だったのを忘れていませんか?
干支ってね、年賀状を出す人にとっては、年の暮れになってから気になり始めますが、近年は今年の干支が何か、気にする人は少なくなったような思いがいたします。
まだ少し、巳年、残っています。
巳年の「巳」とは、地上活動する意味があってね、「巳年は従来の因習的な生活に終わりを告げ、新たなる生活を築くために創意工夫を試み、日々暮らすと大吉」と言われているんです。
残り少なくなった今年。12月31日に「良い一年だった」と思えるように、これからの日々をお過ごしください。

松原照子印

本日の世見

縄文時代

2025年10月20日(月曜日)

現代アートよりユニークに見えるのが、縄文時代の土偶です。
なんと、この縄文時代は1万数千年にもおよぶというではありませんか。
いったいどのような時代だったのでしょうか。
この時代の鍵を握るのが、滋賀県東近江市の相谷熊原遺跡から出土した最古の土偶、「相谷熊原土偶」です。
高さは3.1センチですが、豊満なオッパイがとても美しく表現できているものだから、あっぱれと言いたくなります。
ただ、首にあたる箇所には穴が開けてあって、この意味を知りたくなります。
3.1センチですよ。
これだけの作品をこの小ささでつくる人が1万3000年前にいたというのですから、縄文時代にタイムスリップしたくなります。
滋賀県といえば琵琶湖ですが、1万3000年前には滋賀県に湖はなかったと思います。
琵琶湖は、現在の南東の三重県の上野盆地あたりにできたのが約400万年前。
その後一度消滅し、生きているかのように形成を繰り返しながら、湖は北上を続けました。
琵琶湖が約100万年前に西岸の堅田付近に出現して、その後断層活動が続き、東側に拡大して現在の姿になったのは、約40万年前だと言われています。
この琵琶湖は、今でも年に1mmずつ北に移動しているとのこと。
だからね、縄文時代の人々は琵琶湖は見ていないんです。
今から3万年前までは、日本列島は大陸東縁の一部でしたから、縄文時代の人々はどこの国の人々だったのでしょうか。
大陸から分離して対馬海峡が出現したのは、約2万年前からだと言われています。
この間、陸地が海中に没したり、また隆起したりしたのですから、縄文時代の人々は生きるのが大変だったと思ってしまいます。
サングラスをかけているかのような土偶を見ていますと、縄文時代の地球は、他の惑星からやって来やすい惑星だったと思ってしまいます。

松原照子印
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