「夢は夜開く~」なんてね。
こんな歌がありましたが、あなたの夢ってどんな夢ですか?
夢は、叶わない事からかもしれませんが、いっぱい心を楽しんでもらうための“元気の源もと”です。

2025/6/01
見えぬ脅威と向き合う時代「情報、ウイルス、SNS」|月刊SYO2025年6月号
2025年6月の月刊SYO「世の中の動き」では、ウイルス、SNS、情報等の見えない脅威についてお話させていただいております。
2025/6/01
◉2025年6月の人生力の数字
2025/5/30
【続報!7/6講演会】7/10日発売 新刊「松原照子の光世見」直筆サイン入りを先行販売致します
【参加者限定】新刊サイン本の先行販売!そしてスペシャルゲストの講演テーマも決定しました!残席も少なくなってまいりました。
2025年6月03日(火曜日)
「夢は夜開く~」なんてね。
こんな歌がありましたが、あなたの夢ってどんな夢ですか?
夢は、叶わない事からかもしれませんが、いっぱい心を楽しんでもらうための“元気の源もと”です。
最近あまり聞くことがなくなった「逝きざま」。
あなたは、この言葉にどの様な思いを抱きますか?
この「逝きざま」とは、もしかすると一人で過ごす時に決まる気がしています。
一人で過ごす時間とは、隣に誰かが眠っていようと、食事を摂っていようと、共に時を刻んでいる自覚がなく、自分だけの世界観に浸っている時も含めた一人の時間のことを言っているのです。
スマホ時代到来後、この一人で過ごす時間は大きく変化した気がいたします。
ご自分の大切なこの世で、自分の持ち時間を変えてしまうと、「逝きざま」は
ピンと来ないかもしれません。
もしも、あなたが戦国時代に生まれていたら、今とは違う一人時間を過ごされていたことでしょう。
スマホ時代にどっぷり浸かると、伊能忠敬のような生き方は出来ないかもしれません。
伊能忠敬は、持病の喘息が悪化して74歳で生涯を閉じましたが、見事な逝きざまを私達に残してくれた一人です。
忠敬が生まれたのは九十九里町小関です。
二男一女の次男で、幼名を三治郎と言いました。
十八歳の時、千葉県香取市の伊能家の娘・ミチの婿養子になるのですが、ミチには先夫との間に子供がいました。
当主になった忠敬は、隠居した四十六歳にして、伊能家代々の記録を再編集したのです。
彼の五十歳からの第二の人生に、私達は学ばなくてはいけません。
隠居した翌年には江戸へ遊学、髙橋作左衛門至時の門弟となり、高等数学を学びました。
忠敬は毎日、正午の太陽の高さを測り、夕方には星の観測を欠かしませんでした。
年齢からして、生きている間に日本全土の地図を作成することは出来ないと思い、量程車と名付けた測定車を発明しました。
忠敬の測量は七十二歳まで続きました。
この間、忠敬が歩いた距離は四万三千km。これは地球一周より長い距離です。私ね、「逝きざま」というのは名を残すことではなく、人生において如何に生きている実感を持てるか、だと思います。