「酉の市」って、今年はいつなんでしょう。
毎年11月の酉の日に、大鳥神社をはじめとする各地の社寺に立つ市を「酉の市」といいます。
酉の市の起源は江戸時代。
東京都足立区にある大鷲(おおとり)神社の近くに住む農民が、収穫を祝ってにわとりを奉納したことが酉の市の始まりのようです。

2025年11月05日(水曜日)
「酉の市」って、今年はいつなんでしょう。
毎年11月の酉の日に、大鳥神社をはじめとする各地の社寺に立つ市を「酉の市」といいます。
酉の市の起源は江戸時代。
東京都足立区にある大鷲(おおとり)神社の近くに住む農民が、収穫を祝ってにわとりを奉納したことが酉の市の始まりのようです。

今から57年前(1968年)の11月といえば、アメリカが北爆を全面停止したニュースが世界中に流れた年でした。
1960年に勃発したのがベトナム戦争、アメリカの介入は1961年の軍事顧問団派遣から始まり、1964年のトンキン湾事件を機に本格化しました。
当時のアメリカ大統領はジョンソンです。
アメリカが、北ベトナムへの空爆を開始したのが1965年です。私が19歳の時です。
ベトナムに空爆した当時は、アメリカ国内においても、戦争への介入は「大義ある戦い」として、国民からの支持する声が圧倒的でした。
当時のボクシング界では、世界ヘビー級チャンピオンだったモハメド・アリ(カシアス・クレイ)が有名でした。
このアリが、徴兵を拒否したことで、アメリカ国内では非国民扱いされ、3年以上にわたり、王座とともにボクサーライセンスをも剥奪されたのです。
それほど、アメリカの世論はこの戦争を支持していたのです。
ところが、50万人ものアメリカ兵がベトナムに送り込まれ、消耗戦の中で多くが命を落すようになると、世論は急速な変化を見せて、出口が見えない戦争を批判する動きは世界的に広がり、反戦運動として隆起していきました。
日本国内でも、反戦を伝えるメディアのリポートと映像の力も大きく、反戦の歌もヒットして、世論形勢に大きな影響を与えていたのを思い出します。
これらの圧力に負けたかのように、ジョンソン大統領は北爆の全面停止を発表しました。
日本では、翌日の11月1日、新聞のトップ記事は「北爆停止」でした。
ところが、ジョンソンの後を引き継いだニクソン大統領は、有利な和平交渉を狙って北爆をやめませんでした。
ベトナムに本当の和平が訪れたのは、1960年に勃発したベトナム戦争は、13年後の1973年1月23日、パリで和平条約が調印されてからのことです。ただ、北爆停止により、日本の株価は上昇しました。
