本日の日記

正露丸

2025年2月07日(金曜日)

ラッパのマークの『正露丸』。
この正露丸、日露戦争のためにつくられた薬なのです。
日露戦争が勃発したのは1904年2月です。
あの頃の戦場の飲み水はとても悪かったのです。
そこで、陸軍省が赤痢や下痢を防ぐための薬を開発。この薬は御用薬として重宝されました。
薬の名はロシアを征伐するという意味で「征露丸」でしたが、太平洋戦争が終わるとロシアを征伐するのはよくないということになり、「征」が「正」になったのです。
この正露丸を若い人達は知っているのでしょうか。
においは強烈ですが、効果は抜群だと思っています。

松原照子印

本日の世見

明治時代の企業家たち

2025年2月07日(金曜日)

日本は明治維新後、世界が驚くくらいのスピードで近代国家になっていったといいます。
その原動力の一つが企業家たちでした。
一代で巨大財閥を築き上げたのが三菱や安田、そして江戸時代からの豪商家だった三井、住友です。
この4つは“四大財閥”と呼ばれています。
三菱と言えば岩崎彌太郎。私ね、いつも暴れん坊将軍の松平健さんを思い出すの。そりゃね、健さんの方が二枚目なのだけど、目元が似ているなぁといつも思うのです。
彌太郎さんは高知県出身です。
私は、現代の若者達に彌太郎さんのことをもっと知って欲しいと思うのです。“地下浪人(じげろうにん)”と言ってね、下層武士出身が彌太郎さんなのです。
そりゃ、時代が違うと言ってしまえば終わりですが、いつの世にもやる気のある人に福の神が宿る気がしています。
確かに「やる気があっても上手く行かない人がいる」かもしれませんが、福の神を手に入れられるかどうかは、人との縁をどれだけ大切にできるかに掛かっていると思います。
彌太郎は、後藤象二郎との出会いが勝利者の道へと進めたカギだったと思います。
ただ、人の死はいつやって来るかわかりません。
渋沢栄一氏が登場しなければ、彌太郎さんは胃癌で死去しなかったかもしれませんし、業務受注を巡る九割近い海運料金の割引まではいかなかったことでしょう。
この時代の海運業に関わることを調べられると、彌太郎さんであっても順風に事が進まないのがわかります。
彌太郎さんにとって最高の気分だったのが、もしかすると61歳の時だったかもしれません。この年、彌太郎さんは第四代日本銀行総裁に就任していますからね。
彌太郎さんと渋沢栄一氏とは、どうも先で親戚になったみたいです。
この時代の物語は実に学びどころが満載です。
奉公人から一代で金融帝国をつくった安田善次郎氏の人生も、NHK朝ドラでもいいからやってほしいと思います。

松原照子印
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