本日の日記

父よ

2025年6月14日(土曜日)

明日「父の日」ですね。
父の日が日本で広まったのは、1950年頃からだそうです。
母の日はカーネーションですが、父の日の花は白いバラだそうです。
でも、お花屋さんで白いバラの花って見かけない気がするのですが‥‥。
でもね、お父様を大切にしてあげてくださいね。
私、明日は仏壇の前で、父と語り合いたいと思います。父の声が聞こえるといいのですが。

松原照子印

本日の世見

古代朝鮮と日本

2025年6月14日(土曜日)

古代の朝鮮と日本の事に触れた古い記録に、「楽浪の海中に倭人がおり、分かれて百余の国となっている。そして年事に来たりて献じ見た」と記された漢書があると言います。
倭人の小さな国が、北九州に沢山あったのかもしれません。
楽浪(らくろう)があったのは平壌の辺りらしい。この楽浪の役所には、毎年貢物を持って倭人が来た、と書には書いてあるようです。
この漢書の著者の名は班固(はんこ)。
朝鮮半島に於いての歴史物語は、韓流ドラマで見ていても面白い。
朝鮮半島は紀元前四世紀頃、西北部に小国が成立しました。
漢の武帝が紀元前四世紀に侵略して楽浪など四都を設け、やがて百済(くだら)、新羅(しらぎ)に統合され、北方にあった高句麗(こうくり)は四世紀に楽浪を滅ぼし、三国は日中両国と交流し、668年に新羅が半島を統一したといいます。
666年の10月、高句麗国王からの使者がやって来ました。
その使者の中に二位玄武若光(にいげんぶじゃこう)と言う人がいました。
高句麗はこの二年後に滅んでしまうのですが、ただこの人、日本の朝廷から「高麗王」の称を与えられ、「高麗王若光(こまのじゃっこう)」という名前だったようです。
埼玉県日髙市には高麗(こま)神社があり、高麗王若光が祀られています。
716年、高麗人11799人を武蔵国(埼玉県)に移して高麗郡を設置したと『続日本記』の記事にはあるとか。
混乱する朝鮮半島からは多くの官民が海を渡って日本にやって来たのです。
百済からは男女2000人、僧尼23人、新羅の僧尼22人+22人=44。この人達を「渡来人」と呼んだみたいですが、今で言えば難民。武蔵国へ移住した百済の王の名が「飛鳥𠮷志」「日下部𠮷志」。この𠮷志は百済の王の「和訓」。これはユニキシと同じなのです。
『続日本記』の記述によると、「武蔵国閑地」として武蔵国に新羅郡(後の新座郡)ができたとあります。高麗郡、新羅郡、幡羅郡は、現在の埼玉県日髙市、和光市、熊谷市、深谷市の辺りにありました。

松原照子印
pagetop
loading