本日の日記

出雲に

2025年10月23日(木曜日)

10月は「神無月」です。
全国の神様が留守にする月です。
神様たちは今月、出雲に集まっておられると言われています。
「縁結び」は、家族も仕事もそのお相手です。
今月は神様が出雲に集まっておられても、昔の人たちは衣替えをしたり、障子を張り替えたりと、日々の生活をすっきりさせて、新しい良き気を招き入れていたようです。

松原照子印

本日の世見

斉の国

2025年10月23日(木曜日)

孔子の死後、90年ぐらい経った頃、孟子が、鄒(すう)という小さな国(今の山東省)に生まれました。孔子と孟子の思想は、日本でも「孔孟の教え」として知られています。
孟子の前半生は、その生活も、家柄も、家族のことも全くわかっていません。
儒家を代表する思想家として有名な孟子は、孔子の思想を間接的に学んだようです。
孟子が生まれた山東省は、黄河と並行して東北に流れる済水(せいすい)があり、その支流の左岸に臨淄(りんし)という町があるようです。
ここは戦国時代の斉の都があったところです。
今でも王城の跡らしい城壁の一部が残されていて、復元してみますと、東西4.5km、南北4.2kmの長方形に、約20kmほどの城壁がめぐらされていました。
その西南部には、一辺1.2km〜2kmの城壁に囲まれた王城がありました。
今も残るその王城の城壁で、一番高いところは地上から8メートルもあるといいますから、宮殿も壮大だったことでしょう。
この斉の国に、当時どれだけの人が暮していて、どのような生活をしていたのでしょうか。
司馬遷は『史記』の中で、斉の国に来た外交官・蘇秦の言葉として、「都の臨淄は戸数が7万戸。一戸平均3人の男子がいると思われるので、兵士を徴発するまでもなく、臨淄の兵士だけで21万になります」と書かれています。
紀元前四世紀といえば、我が国は縄文時代末期で、まだ国は造られてはいませんでした。
でも、斉の都には成年男子が21万人もいたというのですからね。
これだけでも凄いと思うのですが、斉の国の人々は楽器を鳴らし、闘鶏、ドッグレース、双六、蹴鞠などを楽しんでいたというのです。
斉の国では、学者や思想家の数は数百人、ときには数千人もいたといいます。
学者たちには大臣に次ぐ高い身分を与えられて、多額の俸給をもらっていたといいます。
老子という人が実在したかは疑わしい気がしています。
老子の書物『老子』も、いつできたか分かりません。

松原照子印
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