身内や親しい人ゆえに、心がすれ違うと、どうすればいいのか分からなくなります。
すれ違った理由に気がつくといいのですが、気づかないとなかなか元に戻れません。
こんな時はね、なんにもなかったかのように、こだわりをなくし、明るく笑顔で接することが一番です。
そしてね、仲良くするのに、相手が今までと同じ態度だからといって、ご自分も以前と同じ態度に戻るのはやめてね。
人生イロイロだからね。まずはご自分の心の変化を楽しみましょう。

2025年10月19日(日曜日)
身内や親しい人ゆえに、心がすれ違うと、どうすればいいのか分からなくなります。
すれ違った理由に気がつくといいのですが、気づかないとなかなか元に戻れません。
こんな時はね、なんにもなかったかのように、こだわりをなくし、明るく笑顔で接することが一番です。
そしてね、仲良くするのに、相手が今までと同じ態度だからといって、ご自分も以前と同じ態度に戻るのはやめてね。
人生イロイロだからね。まずはご自分の心の変化を楽しみましょう。
西郷隆盛は、1827年12月7日に生まれたんですね(幼名;小吉)。
父の名前は西郷吉兵衛。
小吉は1841年に元服して、吉之助隆永と名乗りました。
郡方書役助として勤めていました。
結婚をしたのは25歳の時。
1852年に父が死去して、西郷家の家督を継ぎ、吉兵衛を名乗ります。
この年、母も死去。
“西郷どん”にとって、1852年は人生が大きく変わった年でした。
結婚と両親との死別。
でも、この年、日本の歴史は大きく動いていました。
6月3日、ペリーが軍艦4隻を率いて浦賀に来航、開国を要求する国書を幕府に渡しました。また、8月17日には、オランダ商館長がアメリカの日本来航計画を幕府に通告しました。
西郷どんの人生を見ていますと、歴史に名を残した人々と同じ日本で誕生していることには、心の中に熱い風が吹きます。
1827年(文政10)にはジョン万次郎、山内容堂が生まれていました。そして河井継之助も。
西郷どんが結婚した前の年、1851年に土佐藩の漂流民のジョン万次郎(中濱萬次郎)がアメリカから琉球に上陸。
ペリーが浦賀に再び来航したのは1854年1月16日です。
3月3日には幕府が日米和親条約に調印して、下田と箱館を開港しました。
この時、イギリス、オランダ、ロシアとも和親条約を締結したのです。
西郷どん、27歳の時の出来事です。
西郷どんにも忘れられない出来事が起きています。
1854年4月12日、小石川の水戸藩邸において藤田東湖と対面し知遇を得るも、1855年の安政の大地震で藤田東湖は亡くなりました。
1854年12月23日には安政東海地震が起き、関東から近畿に至る広い範囲で被害があり、12月24日は安政南海地震が起き、大津波がアメリカの西海岸まで到達しました。
海溝型地震には、これからも要注意です。