昨日は「昭和の日」で祝日でしたから、月曜日に休みをとっておられたら土曜日から4連休だった方もおられたかと思います。
29日は元々、昭和天皇のお誕生日でした。
平成になってから、当初は「みどりの日」という国民の祝日になり、2007年に「昭和の日」と名前が変わりました。
今月も仲良しでいてくださり、ありがとうございました。

2025年4月30日(水曜日)
昨日は「昭和の日」で祝日でしたから、月曜日に休みをとっておられたら土曜日から4連休だった方もおられたかと思います。
29日は元々、昭和天皇のお誕生日でした。
平成になってから、当初は「みどりの日」という国民の祝日になり、2007年に「昭和の日」と名前が変わりました。
今月も仲良しでいてくださり、ありがとうございました。
奈良時代って、70年余りだったのですね。
朝廷は新しく作った奈良の平城京に移り住み、奈良に都がおかれたのです。
奈良の都は唐の都・長安にならって朱雀大路(すざくおおじ)を中心に碁盤の目のように広い路があり、奈良山を背にした北側にある都には天皇の御殿や役所が並んでいます。
この平城京をつくるのに働いた人は、延べ100万人を超えると言われています。
この平城京、屋根瓦や柱や建物の多くは、その前の藤原京から移したもののようです。
だからね、未完成ながら、一年四ヶ月ほどで奈良に都を移せたといいます。
この平城京には外国人もやって来ています。
最も多いのが新羅人。そのほか、中国東北郡にあった渤海(ぼっかい)人もいましたし、インド人、ペルシャ人、ベトナム人もやって来ていました。
かなり国際的な都だったようです。
政治に関係するっ言葉に、朝廷とか、朝堂院と言った「朝」の字が付くのが多いのは、役所の仕事は日の出と共に始まり、午前中に終わったからだと思います。
正一位の大政大臣になると、年収は現在の6億円を下ることはなかったようです。貴族は5億円以上で、701年には125人しかいませんでした。同じ貴族でも正五位では年収3000万円余りだったとか。
あの時代に産まれていたら、殆どの人は今のような美味しい食事を摂れませんでした。
下級役人の食事は、玄米のご飯にヒジキの煮物と塩だけという酷いものですから、民の食事がわかります。
上級の役人になると、主食は米、ワカメ汁、アワビのウニ和え、シカ肉のなます、アユの塩焼き、そしてデザートはクリ、シイ、ヒシの実、枝豆、ミカンでした。
さらに天武天皇の孫は、生の牛乳まで飲んでいたというのです。
食べる物がなく、行き倒れも多かったのに、国司達は進んで救済しなかったのが奈良時代‥‥のようです。