本日の日記

絶世の

2025年4月10日(木曜日)

エジプトの女王には「クレオパトラ」って名前の人が何人もいたと言いますが、プトマイオス朝の最後の女王が一番有名です。
百戦錬磨の武将カエサルや、アントニウスを魅力の虜にしたクレオパトラって、美貌より賢さが武器だった気がします。
パスカルが言いました。
「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、世界の歴史は変わっていただろう」と。この有名な言葉をあなたはどのように受け止めますか。
クレオパトラが生きていた時代に造られた紙幣には、彼女を刻んだものが幾つかあるようですが、美女と言うより“魔女”みたいとも言われています。
クレオパトラ、どんな顔をされていたのでしょうか。会ってみたくなります。

松原照子印

本日の世見

日本人って

2025年4月10日(木曜日)

幕末に対して余り興味はありませんが、私ね、幕末時代に生きた人々と現在日本で暮らし生きている人々とでは、随分と違うなぁと思うのです。
そりゃね、名を残した人は一握りの人です。
一般人の方が多いのは事実なのですが、あの時代に生きた人々の生き方・考え方が、あまり聞こえて来ない気がするのです。
あの当時、西洋人から見た「侍」というのは、頭に丁髷(ちょんまげ)を結った首狩族のように思っていたようです。戦などで“首をとる”ことを目的にしていましたからね。
私を育ててくれた大好きな母は、明治44年生まれだったからか、明治という時代が大昔に思えないのです。
それとね、私の娘時代、外人さんに「日本人ってどんな人?」と聞くと、「メガネをかけ、カメラを首からぶら下げている人」と答えたと聞いて、ビックリしたのを思い出します。
20歳以上の男達に兵役義務を課し、有事の際に備えるべしとした「兵役制度」が、日本にもあったのですね。
「富国強兵」というスローガンを掲げてもいました。
「首狩族」については、京都での主な天誅事件を知るとよくわかります。
青竹に括り付けられた島田右近の首は、鴨川四条河原北側に晒され、本間精一郎も島田と同じ場所で、竹に縛り付けられた首が晒されたりしました。
大阪難波の橋の上には池内大学の首が、大阪の西横堀助右衛門橋には北角源兵衛の首が、欄干に荒縄で結び付けられていたと言います。
一番凄い殺され方をしたのが、目明かしの「猿(ましら)の文吉」で、彼は全裸にされて河原の棒杭に縛り付けられ、細紐で絞殺されました。それだけではありません。遺体の陰部には竹串と青竹が突き立てられていたといいます。
文吉が晒された場所が京都鴨川三条河原です。
1862~1864年ってどんな時代だったのでしょうか。
凄い時代だったのがこの事件でわかります。
このことが起きた時、徳川家茂と和宮とは政略結婚をしました。夫婦仲はよかったといいますが、5年くらいしか夫妻でいられなかったと思います。

松原照子印
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