本日の日記

火葬

2026年6月08日(月曜日)

あのお釈迦様も、火葬にされたといいます。
日本で最初に火葬にされたのは、奈良県にある元興寺というお寺の開祖、道昭(どうしょう)さん。
『続日本紀』には、道昭は、民に模範を示すために火葬を希望した、と記されているようです。
天皇として初めての火葬は、持統天皇。このことで、持統天皇にあやかろうとして、公家や上級役人たちの間で火葬する人が増え、やがて武士の間にも広がっていったと言われています。

松原照子印

本日の世見

東京の行政区画の変遷

2026年6月08日(月曜日)

かつて江戸は、世界でも屈指の大都市と言われていました。町人50万人、武家や公家が50万人の合計100万人が住む大都市でした。明治になると、15区からなる東京市が誕生(1879年)、その後も人口は増加していきました。
明治の末期、1908年には約160万人になり、その人々が山手線の内側程度の広さの地域に住んでいたことになるようです。
1925年の国勢調査では、東京市の人口は200万人に達していました。
昭和の初め1932年には、東京市は周辺の5郡(荏原、豊多摩、北豊多摩、南足立、南葛飾)82町村を編入合併し、「大東京市(東京35区)」が誕生しました。面積は6倍以上、人口は500万人に膨れ上がったのです。そして1935年、人口は588万人になりました。
この東京35区は、江戸府が東京府と改称された時(1878年)の東京市15区6郡と同じですが、東京府の中の東京市が拡大したことになるのだと思います。あまり耳慣れない東京府が東京都になったのが、戦時中の1943年、私が生まれる3年前の事です。この時東京市は廃止され、35区は東京都の直轄になったのです。日本の帝都・東京都は、長官の関与が強くなりましたが、私が生まれた1946年には、郡長官、翌年には都知事も公選になり、地方自治が回復したのです。
戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)から戦禍の著しい区とそうでない区が求められて、1947年に22区に再編されたのですが、同年、板橋区から練馬区が分離されて、現在の23区になったのです。
都市への人口集中は、東京だけではありません。4区でスタートした大阪市も、1897年には24の周辺町村を編入。大阪はその後も拡張を続け、13区になり、1925年には、東京市の人口200万人に対して、大阪市は211万人になっていました。
1960年当時の東京23区の面積(約568万k㎡)は、京都市の面積(約432万k㎡)を上回っていました(現在は京都市のほうが約200万k㎡ほど広い)。

松原照子印
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