◉月刊SYO 2016年5月号

月刊SYO

2016/5/01

◉月刊SYO 2016年5月号

幸福探しをする前に

不安は 不幸が喜んで

不満は 不幸がやって来る

満足は 幸福が喜んで

笑顔は 幸福を呼び込むよ

幸福って どんなことなの

不幸って どんなことなの

熊本県・大分県の会員の皆様には心から頑張ってくださいのエールをお送りします。
いつもなのですが、自分の力のなさに心が砕けそうになるのを今は気力で持ちこたえています。
4月7日の世見に九州が揺れそうと書いた時、もっと もっと気合を入れてよく見ていたらもしかしたら、ほんの少しでもお役に立てていたのにと思いますと胸が痛みます。
日本は東日本大地震後、列島が大きく動きました。
地下10kmの所が今回は震源だと地震速報で見ますと「浅い」のだけがわかるだけです。
地図を触って見ますと宇部沖がこの度の揺れで影響を受けた思いがします。
安芸灘 伊予灘 豊後水道の辺りは近い将来(このように書きたくなりました)揺れます。又、日向灘は今日も元気です。
日本地図を触ると日本中に揺れやすい場所が、これが日本だと思いたくなるくらい気になる場所があり過ぎました。
ただ、揺れる順番はわかりませんが今月は感じるがままに気になる場所を書いておきたくなりました。
今書いた場所からスタートしますが書いている最中にもしかして声が聞こえるかもしれませんし、映像が見えるかもしれませんので文章がわかりにくくなるかもしれませんが、真剣に書いてまいりますのでよろしくお願い申し上げます。
でも心配し過ぎないようにだけは宜しくお願い致します。
①  安芸灘 伊予灘 豊後水道
②  日向灘はこの度の地震の影響ではありませんが揺れやすくなっていました。
③  安芸灘と書いたのですが、安芸灘が今見付からず高知県の安芸が斜めに気になる一本の線を指先が発見。気になりました。
高知の宿毛湾は今後どこかで大きな揺れが起きると津波って大丈夫とは思いました。
宿毛から土佐くろしお鉄道が通っているのですが、この辺りが何故か気になりました。
土佐清水と云えば日本酒。もしも今度大きな地震に遭うと被害が出そうです。20年はもつといいのですが気になります。
④  この度の大地震の影響を受けたかも知れない場所は高縄半島です。
松山から右の上の方に気になる線がありました。
⑤  瀬戸内海は島だらけです。
島を見ていると 周防灘
この下は幾つもの斜めの土地の線が見えました。
見えたと云うのは地図上に映像で、まるで段々のように4~5本が並び左の一本は“くの字型”です。
段々といってもあれこれって大昔山だったのかなぁ、差がある線が山口県に向かっています。
この辺りはどこかの揺れに影響を受けますが、大きいと津波になりますが、今日4月19日現在のところでは大丈夫ですが、油断は禁物です。
「ここまで書くと少し疲れました」
⑥  福岡県も久留米の辺りにも断層ぽいのかなぁ、いつの日か揺れる気がしました。と申しますのは、阿蘇の辺りの今日(4月19日)の感触が似ていました。
だからといって心配して欲しくはありません。
こうして書き始めますと、お読みになる方を不安に陥れるかもしれませんのがとても心配になります。
ただ、直ぐかどうかまでは今日の時点ではわかりませんので、ご了承くださいませ。
それとここまで細かく書きますと「どれか当たるだろう」と言われそうで気にもなっています。
2017年~2018年の2年間が本当に気になっていました。
今年も6クラスは覚悟が必要だとは思っていましたが、大きな被害を目にすると時期は今日わからないが気を付けてくれそうなので書きたくなりました。
⑦  中央構造線がどのような線なのかこの地図には載っていないのでわかりませんが、和歌山から御所に近い辺りもそうですが近畿地方も揺れやすくなった気がします。
⑧  布引山って今聞こえたのですが、何となく布引山という響きが嫌でした。
⑨  生駒は私でも知っている場所。何故今日書きたくなるのかわかりませんが書いておきます。
⑩  どこかなぁ~。今見えたのはコンテナの横に車がいっぱいです。
港のようですが船に積み込めないのが気になる映像でした。
⑪  長野県は日本のどこかで大きく揺れると影響があるのを感じます。
⑫  琵琶湖周辺が動く時、日本はあちらこちらで揺れる気もしました。
今月は関東のことや東海までは見られませんでしたが、これからは世見で気
になることは書き続けます。
私も人の子。こんなことを書いて皆様を心配させないかなぁ~はこの手のことを書く時はいつも思います。
今月もお読み下さいましてありがとうございます。

「ガバジャラミタ」をご一緒にいたしませんか!
あなた様が少しでもお心が楽になられることを願い、「ガバジャラミタ」を朝四時に天に向かい語り掛けています。
水曜日は皆様が本来のご自分の「感」が磨かれますことをお祈りいたします。
又、下記の日は「ガバジャラミタ」を12回言うようにしています。
あなた様とご縁が持てましたことを大変嬉しく思っています。


健康日   3日(火)   10日(火)
仕事日   2日(月)   9日(月)
恋の日   16日(月)   23日(月)
家族日   17日(火)   24日(火)


◎ 毎週水曜日はあなた様が心穏やかに過ごされることをお祈りしています。

私達は地球しか知りません。
私達は地球で生まれ地球で死を迎えます。
死の世界は私達人類と地球との関係を外しては成立しないごく自然な営みでもあるのですが、現代人はとっても大切なことを見逃して暮らしています。
「見る 聞く 感じる」このことが古代人とは随分と違い、文明と云う名で失った魂の磨きをどのように取り戻し神聖なる死を受け止められるのかが今後地球においての立場が決まると思われます。
かつて恐竜が地球表面を闊歩していました。でも、地球の意志で絶命しました。
私達人類の驕りにいつ終止符が打たれるのかひやひやしながら私は不思議な世界の方々のお話を聞きながら恐竜達の最後の雄叫びを聞いてしまった気がいたします。
恐竜達の死も人類の死も死は同じです
でも、かなりの違いは人類には過去(前世)の自分の歴史を収めている本人だけの神様がおり、この神殿の扉は現世を生きる人の思考言動で重くなったり軽くなったり、突然開き奇跡のシナリオを書き上げてもくれます。
神殿の扉の向こうには自己の能力を越えた神秘な世界があり、発明 発見 勘 正夢 透視 直感 霊視などと云った通常では感じ取ることが出来ない力を本人だけの神として与える時を待ち本人が死するその瞬間まで共に生き、死後も見とどけ役として見守り、いずれ前世と呼ばれる人の生涯記録を記した後に天空へと帰依するのです。
自分だけの神殿に住む神は地球の意志と直結していて共に生きる人の思考言動に合わせた人生設計をしたり道を外そうとする時は阻止すべく本人に信号を送りますが、本人の思考言動には打ち勝てずに様々な人間ドラマを作ってしまいます。
地球とのパイプ役がそれぞれの神殿に住む神であり人類全ての思考・言動を司る地球の人類係の神へとそれぞれの神は休むことなく交信をしているのです。
人類係の地球の神はいついかなる時も人類物語に辻褄を合わせるべく次なる働き掛けをそれぞれの神へと伝えます。
人類の生活は決して平等ではありませんが、思考だけはいかなる場でも平等です。
人類は生きるために今日と云う日の時を刻んでいます。
「生きたい」と想っても許されない人々もいます。
死はいつやって来るかわかりません。
死の迎え方もわかりません。
死を自ら選ぶ人もいます。
生と死はいつも同じ壇上にいて選べる死も神は与えてしまっています。
地球生物の神秘は地球全ての生命に地球が与えた神がいることです。
私達が食する全ての食材にも命があり私達の生命を維持してくれています。
勿論、私達人類だけが調理なる食を楽しめる世界を地球は与えてくれました。
食を楽しめる最高の愛を地球から授かった私達。生と死は見つめることの出来る私達。
私達は今一度、生まれて来て良かったと思うべきなのではないでしょうか。
死は間違いなく一秒 一秒毎にその人の思考・言動で近付いても来ますし、それぞれの神の働きで遠ざけてもくれます。
でも、必ずや死はやって来ます。
その日が来るまで私達は今生きていることがどれほど守られた上でのことかくらいは感じ取ることをしてもいいのではと思いますし、明日も生きられる力にもなります。

現在連載に近い物語をこのコーナーでお伝えしていますが、近日中に販売される十冊目の本。
「読んだら驚く あの世の仕組み」
で書いた内容ですが本では少し違っています。
会員の皆様には最初に書いた文章を是非お読みいただき、この度の本に私がどれだけの情熱を注いだかを知って欲しいと思い掲載しています。
テーマが死後の世界なだけに初めて書き直しをしてしまいましたが、前文を読み直すとボツには出来ず是非お読みいただきたく思いました。
「読んだら驚く あの世の仕組み」と合わせて是非お読みいただけませんか。
「私 とても頑張ったのです」
お心にしみれば本当に嬉しく思います。

私は戦国時代の武将の中で武田信玄は大好きな人の内の一人です。
だからかもしれません。
彼の死に様や死してからの想いをどうしても知りたいのです。
彼は信長 道三 秀吉とは違い甲斐源氏を継ぐ名家の嫡男でした。
不思議な世界の方々の話を聞いていますと信玄ほど愛されることを身近な人に望んだ人はいなかったと言われます。
愛に飢えた思春期を体験した信玄でもありました。
父に疎まれて暮らす日々の虚しさは父を追放して直ぐに信玄の心を軽くさせたといいます。信玄の血液型はB型でした。それゆえかB型らしい生き方が見えても来ます。
人は城 人は石垣 人は堀
信玄の有名な言葉です。
この言葉とB型の血液型と結び付くことはありませんが、自分の気持ちに素直に生きた生き様はB型特有の性格にも思えるのです。
13才で妻を娶り53才で亡くなるまでの間女人だけではなく男性にも恋心を抱き、恋文も送ったほどです。
「仕事より恋」を重要視した信玄だったと教えられるとかえって人間ぽくて私などは好きになってしまいます。
川中島の合戦から随分と時が経ちました。
千曲川は今日も何事もなかったかのように水が流れます。
信玄はあちらに帰って暫くの間、川中島の戦いには悔いが残っていたと申します。
甲斐の国は山岳地帯
それ故に風林火山の城は武田騎馬隊そのもののように見えます。
軍師山本勘助晴幸が孫氏の軍事編から幟に書き記した言葉が風林火山です。
小競り合いの戦いもありましたが、4度目の戦では双方に多くの死者を出しました。
11年も続いた川中島の戦い。
戦死した多くの御霊が武将の中では絶えず気にかかった信玄だったようです。
あばら骨が浮彫のように見える釈尊像に日夜手を合わせた信玄。
信長によって一字も残すことなく焼かれた延暦寺。僧俗男女3千人が首を切られたこの事件、信玄はこの時心を大きく動かされたといいます。
比叡山延暦寺を甲斐に移す決心をするも現実には至らなかったのです。
信玄は父信虎に愛されたいと思う気持ちが強く、父の仏教観や信心だけは受け継いでいたのです。
その為に信玄は剃髪し坊主頭に身を包み戦場では坊主も数百人同伴させたのでした。
山岳地帯で育った兵士達は馬に負けない素早さで戦場を駆け巡っていました。
武田の騎馬隊が有名になったのも足軽達の俊敏さが引き立ったからでしょう。
信玄は死の旅が近付くに連れて胃が痛んでいたといいます。
話を戻しますが、信玄と父信虎とは相性は悪いものの信虎追放劇のシナリオを書いたのは父の信虎だったようです。
信虎は信玄の死を大変悲しんだといいます。悲しむ父の姿を見て死後の世界では仲睦まじくなろうと信玄は思いながら父に寄り添うのですが、信虎は認知症に罹り臣下に暴言を吐くし、刀を振り回すはと手に負えず勝頼の伯父の手を借りて苦しまずに死後の世界に送るために念を送ったといいます。
諏訪を愛した信玄。諏訪湖に今も眠る信玄。
信玄親子が湯を楽しんだ湖畔田宿温泉。
信玄という名は法名です。
信玄はあちらに帰依して
「南無諏訪南宮法性上下大明神」を繰り返しながら「我身の行い全て見られていました」と言っていたようです。

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